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第9回動画配信 名古屋市長選挙について



24 名古屋市長選挙について

  さてここまで君に私の人生を語ってきた。
  語る間中、私の頭の真ん中に君の存在があり、息子に自分の人生を伝えたいという強い思いが働いた。そして君に語ることによって、私の人生がもう一度整理されていくのを感じた。
  一応この24章で締めくくりたい。それというのも、せっかく国会議員になれたにもかかわらず、それを擲って、現在の状態になり、君に手紙を書いて私の人生を申し送ろうと考える原因になったのがこの名古屋市長選挙に他ならないのだから。
  話は4年前、平成19年の愛知県知事選挙にさかのぼる。負けたとはいえ、僅差だったので心底悔しかった。心中4年先の再挑戦を期した。しかし想定外なことに衆議院議員のお鉢が回って来た。このことは、政権交代という政治ドラマを経験し政治家として誠に幸せな経験であり、充実はしたものの、私の心の中には、国会議員よりもともと地方で育ってきたのだから、地方行政の長として働くのが私の使命ではないかという思いをどうしても消すことができなかった。
  4年前の知事選挙の時出会って、私の主張を支持してくれた愛知県中の多くの人たちとは接触を絶やさず交流を続けていたにもかかわらず、今年の愛知県知事選挙の民主党公認にはずれることになる。暑い夏だった。時期が丁度民主党の代表選挙と重なりドタバタしているうちに、民主党の愛知県知事候補は御園慎一郎氏に決まってしまった。
  この時も落胆した。ひそかに心中に堅持していた目標を失くした。でも何とか自分を取り戻し、また国政に向かった。しかしその後、名古屋市民主党市会議員団が、私を市長選擁立に動き出したのだ。
  マスコミにとって選挙はとても面白いテーマだ。選挙が大きくなればなるほど、激しくなればなるほどニュースバリューが上がり、世間は騒ぐ。ちょうどこのころから始まった名古屋市長と市議会のバトルが、マスコミには格好の話題を提供しつつあった。
  市長選挙で戦った河村タカシ氏は、彼が議員の時親しく付き合っていたし、なかなか面白いことをいう人物だと一定の評価もしていた。ところが、彼は市長になって人が変わった。というより、変えられなかった。私も議員から市長になったからわかるが、市長は議員と違う。市長は政治家である以上に行政の統治能力が要求される。「政治は風 行政は大地」という比喩を私は好んで使う。地味ではあるが安定した行政は不動の大地のごとき安心感を市民に与える。河村さんは、市長としての行政はほったらかして、相も変らぬ議員特有の荒唐無稽な政治評論ばかりが続いた。
  まず「減税論」。市民税一律10パーセント減税を恒久的に実施という。明らかに持続不可能だ。しかもこの減税のために名古屋市は借金を増やしたので、議会は恒久減税にノーという。すると、自分の公約を議会に否決されたのは納得いかないからそんな市議会などいらない、直接市民に聞くといって市議会のリコール運動を後援会中心に始めた。熟議の対極たるファスト民主主義の極みであり、議会無用論だ。
  結局このリコール運動は、マスコミのはやし立てる熱気のうちに成立を見る。リコールの趣旨は、減税という河村氏の公約が是であるか非であるかを市民に問うためのものであったにもかかわらず、市会議員に対するストレスのはけ口みたいなものになってしまった。というのは、この頃から河村氏は自分の年収を半分以下に下げ、市会議員もそうすべきだといいかけていた。市会議員は本来ボランティアでよく、プロでなくてアマチュアでいいというこの主張が市民に受けた。
  たしかに名古屋の市会議員も反省点は大いにある。議員特権に胡坐をかき、横柄になり、謙虚さを忘れた議員もいたことは事実だ。しかし、私は議員がアマチュアであってもいいとは絶対思わない。私は職業として政治家を選んだのであり、議員という肩書にプロとしての使命感を忘れたことは片時もない。
  河村氏の投げかけた「名古屋プロブレム」は私自身の問題でもあり、私自身のこととして考えた。
  私はこの世の中がどんなに進歩発展しても、民主主主義を守ろうとすれば、議員とか議会を無くすわけにいかないと思う。どこまでも制度として、議会制民主主義を成熟させなければならない。単に税金を減らすとか、議員はいらないという議論は、耳触りはいいが、決して民主主義を成熟させるための本筋の議論にはならないと思う。河村さんの主張は際物に過ぎず、いわゆるポピュリズムの典型である。
  私はここで、地方議会の「議院内閣制」を主張しようと決意した。
  議員の報酬を減らすだけで議会改革になるわけがない。小手先に過ぎない。議会はNPOの市民運動とは次元が違う。地方議会改革の王道は議員の仕事の質を上げることだ。それには議員が予算を編成し、行政の執行ができるようにしなければならないし、欧米先進国では当たり前にやっていることである。
  一つのイメージで表現すると住民代表である議員は言ってみるとその町の取締重役であり、その自治体のマネージメントとガバナンスをしなければならないのに、今の制度では議員は株主総会に出席して発言するくらいの権限しかない。議会は行政に対するチェックとバランスの機能だけでは不十分なのだ。
  日本の自治体がこのまま長と議員と両方とも住民が直接選ぶ二元代表制を続ける限り、いつまでたっても双方の衝突は避けられない。どちらも市民代表なのだから、構造的にぶつかり合う。そろそろわが国の、どこか一か所でいい、地方から一元代表制を実験的にやってみる自治体が出現すべきではないのか、それを名古屋から挑戦してみたいという気が私の中に生じた。名古屋の市会議員にその話をした。初めのうちはなかなか理解できなかったが彼らもリコール運動が成立し、完全に追い込まれ突破口を模索していた。
  地方議会の「議院内閣制」のアイデアは一部学者や議員の中で関心を示す人もいる。片山総務大臣にも相談したことはあったが、法律を変えなければならない問題もあり、即刻というわけにはいかないが議論の対象には十分なるという感覚だった。
  私の選挙区ではこの私の考えに賛成する人は十人のうち一人あるかないかの状態だった。河村市長は、議会で優位に立つ作戦として、知事選挙と市長選挙と市議会解散を市民に問う住民投票の、トリプル選挙を進めだした。その時期は平成23年2月初めだ。河村人気は上昇を続け、一種のブームとして全国にその名を高めつつあった。
  夏、民主党の代表選が終わり、菅さんが小沢さんに競り勝って、民主党内閣も一新したかに見えたが、水面下では崩壊のかすかな地響きが私には聞こえてきた。一方では混乱必至の名古屋の政局を見ながら秋の一日一日は矢のように過ぎて行った。
  もう一度確認するが、私は名古屋市の市会議員達に担がれたり、民主党の崩壊を予感しただけで名古屋市長選挙に立候補する気になったのではない。もちろんそれは必要条件ではあったが、私の心に灯ってしまった一点の火を消すことができなかったのは名古屋市議会の改革、わが国最初となる「議院内閣制」への挑戦心だった。このテーマではとても選挙の争点にできないと分かりつつも。
  ところで私はラ・マンチャの男ドンキホーテが大好きだ。あるがままの人生に飽き足らず、あるべき姿を求めて挑戦し続けた松本幸四郎演ずる「ラ・マンチャの男」の芝居を見て感激ひとしおだった。
  私の心は揺れに揺れ、迷いに迷った。いちばんの厚い壁は選挙区の人たちへの説明だった。春日井、小牧、犬山の支持者は全員が私の考えにはとてもついてゆけないという感じであった。
  私はとにかく心についた火を一度消したかった。気持ちを静め、今与えられた仕事に集中すべきと毎日必死に自己制御しようとした。
  君は知っているかもしれないが、私は毎朝成田山からいただいた不動尊を拝むことから一日を始める。お不動様のあの憤怒の相は、己の邪心や怠け心を抑えてくれる象徴と考えているからだ。しかし、この時は宗旨替えして観音様を拝んだ、観音様の穏やかの相は、気持ちを奮い立たせることより、逆に気持ちを静め、あるがまま周りの人の意見に従い、そのままの毎日を送るような気持ちを作りたかったのだ。
  ところがどうだ、観音様は「やれ!やれ!」というではないか。私がどんなに「嫌だ、嫌だ」といっても「やれ!」という声が消えない。日中は平穏でも、毎朝心が後戻りする。
  11月に入って犬山市長の選挙があった。この選挙で私は現職田中ゆきのり氏に対抗して立候補した渡辺昭美さんを思い切り応援して結果、敗れる。直後、私の熱烈な支援者であり長年の友人であった前田武さんが急逝する。この前田さんはカブヤさん、希代の勝負師であり「勝負は運と感と度胸や」が彼の口癖であった。この彼の口癖が葬儀の祭壇から聞こえてきた。
  日々強まる重圧を正面突破すべく、反転攻勢、12月に入り、清水の舞台から飛び下りる気持ちで名古屋市長選挙に立候補を決断した。

  全国の耳目を集めた注目の名古屋トリプル選挙は2月6日に執行された。
  そして私は大方のマスコミの予想どおり惨敗した。

  選挙後、私は中学時代英語の教科書で読んだ、ロングフェローの「矢と歌」という詩を思い出した。以下披露してみる。

   「矢と歌」
  
   私は空に向かって一本の矢を射た
   それはいずことも知れぬ大地に落ちた
   あまりに早く飛んだので、視力が
   その飛び行く先を追えなかったのだ。

   私は空に向かって歌を口ずさんだ
   それはいずことも知れぬ大地に落ちた
   歌の飛び行く先を追うことができるほどの
   鋭い強い視力をだれが持とうか。

   ひさしくたって、オークの木に
   刺さった、まだ折れてない矢を見つけた
   そして歌も 初めから終わりまで
   私は友の心の中に再び見つけた。


犬山祭りにて

目次

  1. あれから9年 [動画]
  2. 三千の話 [動画]
  3. 静および今井家の話 [動画]
  4. 子供の時代 [動画]
  5. 小学生の時代
  6. 中学・高校生の時代
  7. 大学生の時代
  8. 父の家業を継ぎ犬山に戻る [動画]
  9. 代議士秘書の時代
  10. 県議選出馬 [動画]
  11. 愛知県議の時代
  12. 細川護煕さんとの出会い
  13. 犬山市長選に出馬
  14. 犬山市長の時代・地方分権の時代の中で
  15. 犬山市民病院問題・「さら・さくら」の建設と医師会
  16. 犬山市のビジョン・河合雅雄さんとの出会い
  17. 城下町再生物語と成瀬家についての思い出
  18. 行革の本丸教育改革と民主党との出会い
  19. 愛知県知事選挙に挑戦
  20. 東京財団・神野学園その他
  21. 衆議院議員に当選し、政権交代に参加
  22. 国会議員として
  23. 民主主義と議会改革についての提言
  24. 名古屋市長選挙について
  25. 補足  子孫に美田を残さず、および日本の祭

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